昭和44年7月6日 夜の御理解                 中村良一



沢山、お取次ぎをさして頂いたなかに、御神米の有難いという事を、おー、お礼を申された方が、幾らも、今日はあったんですけども、なかに、あの、久留米からお参りしてきます方たちの、此の方は、あの、引揚者です。それがあの、満州から引き上げて、えー、焼き物が出来る、えー、小石原に引き上げられたということです。あの、子供さんが、こう、焚き火をしよってから、その、後ろのほうに、着物に火が付いてですね、背中一面火傷をしたといいますが、その時にその、おー、御神米の有難いことを知っとったし、いー、熱心に、以前信心しておった事があった、またあの、満州の撫順から引き上げて帰った。撫順の教会でもおかげを受けておられた方なんですけれども、あの近所には、教会がないんですよね。小石原は山の中ですから。それでもう、お母さんが、その、まあ、近所の村、部落の方たちに、この辺にあの、教会はないでしょうか。金光様の信心をしておるとこはないでしょうかち言うて、尋ねられたけれども、小石原部落には、一軒も金光様の信心するものはなかったらしいです。それで、半道ばっかり下ると、十軒ばっかりの部落があってね。そこは、もう十軒が全部金光様の信者であった。そこに行きなさいち言われてもう、それこそ、一生懸命走ってね。そこへあの、行かれたち。それであの、そのわけを話してから、御神米を十体頂いてですね。それからあの、おー、頂いて帰って、それを直ぐ患部に貼らせていただいた。もう、それはそれはもう、本当にもう、跡形もないようにおかげを頂いた。もう、こう御神米がはぐれてくるとに、膿がこう付いてきよったそうです、ずーっと。ところがその、その事を、撫順の先生が、どっか引き上げて帰っておられるというところにその、手紙でお届けをしたち言うんです。そしてその時に、その、御神米を一体送ってきたちいうんですよね。そん時には、はー、火傷をこんなして、御神米を十体か二十体でも送ってくださりゃいいのにと思うたち。けども、まあ仕方がないもんですから、まあ、その一体を、まあ最後に貼らせていただいたが、その一体が最後で、全部、みーんな跡形もないようにおかげを受けたち言う。言う話をね、もう、今日はあの、そのお届けを、この頃から、ここの御神米がなくなりますと、寂しいち。ほでまあ、今、大変難儀をしておられますから、もう、その旅費が困るち言うです。けども、御神米が切れたから、先日から、色々おかげを頂いて、御神米がなくなったから、この包装紙のね。あの御神米。あれでおかげ頂よります。あれをちぎって頂きよりますと。もう、本当にもう、薬とも言うことは要らん、お医者さんとも言うことは要らん。御神米のそのごいとくというのはたいしたことですち言うてからですね。今日あの、お届けをしておられましたがね。あの、合楽の方たちは、この御神米のごいとくといったようなことに対して、あんまり無関心なような感じが致しますですね。私はあの、おー、こう、御神米を、御初穂たんびに下げますと、沢山溜まってですね。えっへ、どうしてもお粗末になるから、必要な時には、私が、十体でも二十体でも下げますけれども、下げませんですが、あの、御神米を本当に頂いておかげを受けたという人達は、あのー、かえって、他所で信心の稽古しとった人たちが、あー、多いようですね。ここの人達は、そこ、もうとにかく御理解力、教えを頂いて助かるというのは、大半なんですけども、御神米でおかげを受けたというような人達は、熱心な信心しておっても、子供がどうかあるち言うと、さあ、もう医者に見せろ。さあ、膏薬つけろといったようなことを言うておるという事ですよね。これは、本当にこう、非文明的のようにあるけれども、とにかくあの、金光様のご信心さして貰うなら、お神酒さんと御新米は欠かされん。もう、どんなことがあっても、これだけは、あの、頂かせて貰うて、やはり、いざという時には、おかげ頂かなきゃならんという事をね。その、小石原におられたという時代のその話を聞かせて頂いてもですたい。えー。また、どこの御信者さん方か知らんけれども、部落十軒が、十軒とも金光様のご信心を頂いておられる方達が、その、一軒足らなかったか、何軒からでもいただいてから、そして、十体頂かれたち。そして、お取次ぎを頂かれた、最後のその一体を貼らせて頂いて、それがはぐれた時が、全部がおかげを受けた時であったといったような、ね。まあ、実に不思議な、神ながらなお話を聞かせて頂いたんですけれども、これはもう、私共も、子供の時から、そういう意味でのおかげなら、もう、数限りなく頂いてきとるですよね。どうぞ。